NM (ネゴシアン・マニピュラン) 生産者一覧NM (Negociant Manipulant) Champagne味にぶれがなく、いつ飲んでも美味しくいただけるのがNMの魅力です。誰もが聞いたことのある生産者ばかりで、ワイン初心者の方も始めやすい♪お気に入りの生産者を見つけてみてください。 |
NMネゴシアン・マニピュラン 生産者一覧
絞り込み
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ピエール・バイエット Pierre Baillette
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ドン・ペリニヨン
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アクセル・ド・ヴァロン Axelle de Vallon
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パイパー・エドシック Piper-Heidsieck
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ヴーヴ・アンジュリー Veuve Angely
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ドゥ・ヴノージュ de Venoge
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シャンパーニュ・テルモン Champagne Telmont
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エルヴェ・ジュスタン Hervé Jestin
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ユベール・ド・クラマンジェ Hubert de Claminger
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ルクレール・ブリアン Leclerc Briant
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ポワルヴェール・ジャック Poilvert Jacques
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シャルル・エドシック Charles Heidsieck
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ユレ・フレール Huré Frères
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フィリップ・ゴネ Philippe Gonet
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ジャマール Jamart
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ブルーノ・パイヤール Bruno Paillard
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ティエノー Thienot
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R&L ルグラ R&L Legras
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フィリポナ Philipponnat
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ガリマール Gallimard
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ヴァンダー・グヒト Vander Gucht
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シャルル・ド・カサノヴァ Charles De Cazanove
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デュヴァル・ルロワ Duval Leroy
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ベスラ・ド・ベルフォン Besserat de Bellefon
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ビルカール・サルモン Billecart Salmon
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ドラピエ Drappier
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レピシエ・ヴェクイサ Lepicier Vercruysse
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ボランジェ Bollinger
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ヴーヴ・クリコ Veuve-Clicquot
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ランソン・ペール・エ・フィス Lanson Pere & Fils
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ポメリー Pommeryポメリーの偉業は、それまで甘口が主流であったシャンパンに初めて、食前酒として楽しめる辛口(ブリュット)の味を造りだしたことです。
このブリュット・ナチュールの登場により、英国におけるシャンパン消費量は一気に3倍にも跳ね上がったと言われ、19世紀末までにはヨーロッパ全土で愛飲されるようになりました。ブリュット・ナチュールは、現在のポメリー・ブリュット・ロワイヤルの源流であり、ポメリー社は現在主流となっている辛口シャンパンのスタイルを確立した先駆者なのです。
ポメリー夫人
シャンパーニュで一世紀半以上の伝統を誇るポメリー社。ポメリー社は1836年、ナルシノ・グレノによりシャンパーニュ地方の中心都市であるランスに設立され、1856年にルイ・アレクサンドル・ポメリーの参加によりポメリー・エ・グレノ社となりますが、2年後不幸にもルイが亡くなってしまいます。しかし、経営を引き継いだマダム・ポメリーは辛口シャンパンを発表し、1890年には200万本以上のシャンパンを出荷し、ポメリー社をシャンパーニュ最大の醸造元へと成長させたのです。
現在では、その年間生産量は約1100万本を数え、世界6位の売上数量を誇っています。
マダム・ポメリーから受け継がれた芸術を愛し、支援する精神。「シャンパンを造ることは芸術を造ることである」という言葉はマダム・ポメリーのポリシーであり、その精神は現在も変わることはありません。ワイナリーは庭園のように常に手入れが行き届いており、多くの見学者が訪れています。
社屋の中心となるシャトー・レクイエールは、英国エリザベス王朝様式の優雅なゴシック建築であり、巨大な地下セラーはローマ時代からのものです。その内壁に彫刻されたギュスターヴ・ナブレによる壮麗な壁画やエミール・ガレによって製作された大樽、「ルイーズ」のラベルに使用されたジャン・バラによるレリーフなど、カーヴはさまざまな芸術作品に彩られています。
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A.R.ルノーブル A.R.Lenoble家族経営的なシャンパーニュ・ハウス。シャンパーニュ・ハウスで大きなところはとんでもなく大規模で、そういうところに比べるとかなり小規模ですが、極小生産でもないので比較的安定しているのがいいところ。 近年ロバート・パーカーの評価も高い、注目の生産者です。
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ガストン・デリックブール Gaston Dericbourgピエリー村 (90%プルミエ・クリュ) シャンパーニュの聖地エペルネから、僅か2.5km南へ下ったコート・ デ・ブランの入り口に位置する一級格付の村が、このピエリー村。 ガストン・デリックブール氏は、このピエリー村の村長を務め、また30年に渡りピエリー村の栽培家協会の会長としてシャンパー ニュ造りに多大なる貢献をしてきた人物です。 今から約50年前に、デリックブール氏のシャンパーニュ造りに対する理念とその精神をマンドワ社が受け継ぎ、現在は「ガストン・デリックブール」の名を冠したブランドとしてリリースしています。 年産は僅か1,700ケースのみ!
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ボーモン・デ・クレイエール Beaumont des Crayeres
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テタンジェ Taittingerランスに本拠を構えるシャンパーニュ・テタンジェは、1734年創立のフルノー社をその起源とし、現在ではシャンパーニュ業界では数少ない家族経営の生産者として、その名声を高めています。 このように高品質なシャンパンを生み出す鍵は、その広大な自社畑にあります。一般的にはシャルドネの比率が高いので非常にエレガントである、といわれてるこのテタンジェ社のシャンパーニュ。ワイングロッサリーでは特別価格でご提供いたします♪
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アルフレッド・グラシアン Alfred Gratien
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ドゥーツ DEUTZ
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アンドレ・ボーフォール Andre Beaufort
アンドレ・ボーフォールは、アンボネイに本拠地をおき、シャンパーニュにおけるビオディナミの先駆者といわれる造り手。
その始まりは1971年に遡ります。
現オーナーはジャック・ボーフォール氏。アンボネイに1.6ヘクタールと、オーブ県のポリジィに4.5ヘクタールの畑を所有しています。
ポリジィの畑から生まれるシャンパーニュは、自身の名である、ジャック・ボーフォールでリリースされ、アンボネは父の名であるアンドレ・ボーフォールで造られます。
今でも彼はルミアージュやデゴルジュマンを手作業で行っています。そのため一回の出荷数量には限界があり、ごく少量しかリリースされません。
化学肥料、除草剤、殺虫剤などその全ての使用をやめ、硫黄や硫酸銅(うどん粉病、ベトカビ病に使用する)でさえ使わない、あらゆる薬品を嫌う造り手です。
彼はその代わりにアロマテラピー用のオイルを、殺虫剤や防カビ剤の代わりとして使用しています。彼は以前怪我をしたときに鎮痛剤を使い体に変調をきたした辛い経験があり、その時にワイン造りにも薬品を使わない決意をしたといいます。製造には非常に古い樽を使用し、中には100年にも及ぶ古樽を使います。新樽は樽を焼くことで生まれる炭が次、第にタールに変わるため体に悪いとの理由で一切使用しません。
シャンパーニュの約80%がフランスを中心にヨーロッパで消費され、彼の熱狂的なファンなど、限られた人やパリのワインショップ、ラ・ヴィーニャやカーヴ・オジェなどの専門店に卸されています。
■評価
ガイド・アシェット2006 2ツ星獲得!
ガイド・デ・ヴァン・ビオ誌では、ビオシャンパンの大御所と紹介
レ・ボンヌ・アドレス・ヴィン・ビオ誌 ミレジム1985 最高評価4ツ星獲得 ドゥミ・セック1985 最高評価4つ星獲得
ワイナート21号シャンパーニュ特集
ドゥー・アンボネイ・グランクリュ1985 94点
ブリュット・アンボネイ・グランクリュ1989 92点
デュミ・セック・アンボネイ・グランクリュ1988 92点
デュミ・セック・アンボネイ・グランクリュ1985 91点
ブリュット・アンボネイ・グランクリュ1995 90点
※入荷時には、ボーフォールを「RM・レコルタン・マニュピュランとしてご案内しておりましたが、正しい表記は、ネゴシアンでした。訂正しお詫び申し上げます。
ただ、ボーフォール自身が、「ボーフォールが引退に伴って畑が5人の子供たちにゆだねられたことで、5人がばらばらの個人会社となるよりも、1つのネゴシアンの会社を立ち上げることを選択した。このネゴシアンの会社はボーフォールと同じ栽培、醸造を行い、ビオシャンパン造りを行っている。」と仰っている通り、形式上はネゴシアンでも、内容はRMそのもの。RMのフィロソフィーを受け継いだ、限りなくRMに近いNMです。
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バロン・ドーヴェルニュ Baron Dauvergne
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カナール・ドゥシェーヌ Canard Duchene1868年創業。モンターニュ・ド・ランス地区、ランスの南のルード村に位置するシャンパーニュ・ハウス。伝統にこだわったシャンパーニュ造りをしています。 もともとはLVMHグループの傘下にありましたが近年売却されました。 公式Webサイトはこちら→http://www.canard-duchene.fr/
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ポル・ロジェ Pol Roger
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フルーリー・ペール・エ・フィス Fleury Pere et Fils1985年創設されたメゾン・フルーリーは現在3代目のジャン・ピエール・フルーリーが後を継いでいます。 初代コミール・フルーリー時代にフィロキセラで壊滅したブドウ畑にシャンパーニュ地方では初めて接木したピノ・ノワール種を植樹しました。 こちらは無農薬、有機農法でぶどうを造っています。1970年から有機栽培を開始し、1989年には、ビオディナミ(バイオダイナミック)の証明証「デメテール」をシャンパーニュで初めて得ている、ビオディナミのシャンパーニュの先駆者なのです! そして1999年からフルー・ド・ローブがノーベル賞授賞式のレセプションなどで、ストックホルム市庁舎のオリジナルエシケットにて供されているというのも、シャンパーニュの有機栽培の分野においてもパイオニア的存在であるから! 素晴らしい\(^o^)/
ピーター氏は美味しくないシャンパンを飲んだら頭痛がするのだそう。 でもある日、レストランでこのシャンパンを飲んで身体に優しい味わいに驚いたんだって。 そうして畑を訪ねてみると、有機農法で土はふかふか、ふんわり良い香りさえただようような素晴らしい環境で造られていることを知り、二度びっくり! 地球にも身体にも優しくて、そして美味しいシャンパーニュ! そうやってまず高品質のブドウを造り、そこから出来上がったシャンパーニュは1999年1月、「ワインスペクテイター」紙上に、インタヴューとティスティングの記事が紹介されました。ゴッセ、リュイナールと同格の91点を取得する高評価を受け、ミシュランの☆が輝くレストランにも多くリストアップされています。1993年には料理専門誌ゴー・ミヨよりブドウ栽培人賞も受賞しました!!
左)ノーベル賞受賞式用特別ラベルはこちら! 中身はフルー・ド・ロープです。 右)2005年秋、京都にフルーリー氏が来られた際にはワイングロッサリー主催でシャンパーニュのディナーを開催しました! 来日記念としてミレジムを特別に限定入荷しました♪
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アラン・スーティラン A.Soutiranクラスマンで、「アンボネイの名栽培家」と評価を受けるスーティランには、3つのこだわりがあります。 一つは完全な健康状態のブドウを生育させること。 二つ目は収穫、発酵など、基礎的な仕事の高いクオリティを維持すること。 最後にベストのワインをブレンドすることです。 その結果、他のシャンパーニュとは大きく違う、モンターニュ・ド・ランスのグランクリュの個性を表現したシャンパーニュが造られます。 こだわりのシャンパーニュを造り出すスーティランのシャンパーニュはフランスでの評価も高く、多数のミシュラン3つ星レストランでオンリストされています。
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モエ・エ・シャンドン Moet & Chandonパリから北東へ150km、シャンパーニュ地方エペルネの町の中心地にあるモエ・エ・シャンドン社は、1743年にクロード・モエによって創立されました。 生産量、品質ともに卓越したトップメーカーとして知られ、世界150ヶ国に輸出されるベストセラー・シャンパーニュとして君臨しています。 モエ・エ・シャンドン社は、この2世紀以上にわたって世界各国の要人を迎え入れてきました。ポンパドゥール侯爵夫人を始め、創立者クロード・モエの孫ジャン=レミー・モエの親しい友人であった皇帝ナポレオン1世、ロシア皇帝アレキサンダー1世、そして日本の皇族など、著名人の訪問の記録が数多く残っています(ちなみにWGまさきこも2回行かせていただいてます♪)。
エ・エ・シャンドンのシャンパンは均整の取れたシャンパンを造ります。さまざまな種類のぶどうが互いに補い合って完全にまざりあい、どれか一つが他を押しのけるということはありません。鼻と舌は完全に釣り合いが取れます。このように調和の取れた味を作り出すため、モエ・エ・シャンドンの醸造家は3種類のシャンパーニュぶどうを組み合わせて均整の取れたブレンドをし、シャンパーニュの「テロワール」の豊かさと多様性が現れるように力を注ぎます。 世界で一番飲まれているシャンパーニュには、やはりそれだけの理由があるのです。
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アラン・ロベール Alain Robertグラン・クリュ「ル・メニル」に17世紀から続く、歴史あるシャンパンハウス。ひたすら品質を求める姿勢は昔と変わりません。シャンパンの醍醐味を伝えるべく古くからの伝統的醸造を守り続けています。 一般的にアラン・ロベールは、彼が受注を受けた後のみ、シャンパーニュにドサージュ(門出のリキュールを加える作業)をします。だから通常は、シャンパーニュは瓶内の「澱」と共にセラーに保管され、それが永いだけ、シャンパーニュに複雑味を加えるのです。 言葉を変えるなら、セラーで「澱」と共に5年間熟成されたシャンパンは「澱」と共に最小18ヶ月だけ寝かされていたものよりも複雑性を増すと言う事です。アラン・ロベールが受注を受けたとき、彼は「澱」を動かしボトルをデコルジュ(澱抜き)し、ドサージュを加えます。 殆どのシャンパン・ハウスはあらゆるオーダー以前に前もってドサージュされています。したがって彼等は早期に船積みの準備を運用し得ますが、それはアラン・ロベールから受けるシャンパンよりも鮮度はないものとなります。
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アンリ・ド・ヴォージャンシー Henry de Vaugencyコート・ド・ブランのオジェに、1732年から続く名門RMです。 2001年に、今年29歳になる8代目当主パスカル・アンリがメゾンを継承しています。グランクリュ・オジェに8ヘクタールのシャルドネの畑を所有。樹齢は約35年です。100%自社瓶詰め。 生産量の90%をフランスの個人のワイン愛好家にダイレクトメールで販売。10%をヨーロッパ各国に輸出しています。 猪、、鹿、うさぎといった動物の狩猟が趣味だというパスカル・アンリは、「完熟した健康なブドウを収穫することがすべて」という信念に基づき、ほとんどの時間を畑で過ごしています。 このメゾンには1820年~1920年当時の結婚をテーマとした小さな博物館が併設されており、記念宝石、数、風習や儀式にまつわる資料が展示されています。 (輸入元資料より)
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ゴッセ Gosset
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G.H.マム G.H.Mummアメリカやイギリスで常に販売実績の上位に立つマムの、紅白の印象的なラベルは、日本でもよく見かけます。 ノン・ヴィンテージものの赤いタスキのマークは、フランスで最も名誉あるといわれるレジョン・ドヌールの勲章をモチーフにしたもので、1873年からコルドン・ルージュという名で販売されています。 1828年にドイツの由緒あるワイン商ペーター・アーノール・マムがパートナーとともにランスで設立し、その後経営を引き継いだ孫の一人にジョルジュエルマンの頭文字を取って、後にG.H.と冠するようになりました。 第一次世界大戦中に政府に没収され競売に掛けられるという憂き目に遭いましたが、新しい経営者ルネ・ラルーによって復活し、成長発展を遂げ、彼の名はマム・シリーズのヴィンテージものに付けられるようになりました。後にカナダの大手シーグラム社の傘下になりましたが、このグループにはペリエ・ジュエ、エドシック・モノポールも入っています。
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クリスチャン・セネ Cristian Senez1950年代の初めに現代の当主の父、クリスチャン・セネ氏はシャンパーニュ地方に土地を購入しました。はじめてシャンパーニュを造ったのは1973年。 その後1980年代には目覚しい躍進をとげ、1987年ではフランスのワインガイド「ギッド・アシェット」で、「クー・ド・ケール」という最高に栄誉ある賞を獲得しました。シャンパーニュ地方の南、オーブのエソワに本拠地をおき(ルノワールのアトリエがあることで有名な場所です)、現在も素晴らしいシャンパーニュを造り続けています。年間生産量は350000ボトル。 シラク大統領お気に入りのシャンパーニュとしても有名で、エリゼ宮の公式晩餐会で使用されている上に、大統領専用機にも置かれているそう! 大きなシャンパンハウスではないクリスチャン・セネがお気に入りなんて、シラク大統領も渋いですね♪ 公式Webサイトはこちらhttp://www.champagne-senez.com/index
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ローラン・ペリエ Laurent-Perrierシャンパーニュ・リ・ロワ・エ・フィス・エ・ピエルロを起源とするシャンパーニュ・ハウスで、後に社を受け継いだウジェーヌ・ローランとその婦人であるマティルド・エミル・ペリエによってローラン・ペリエの名前が誕生しました。未亡人となったマダム・ローラン・ペリエが1925年に亡くなった後、名前だけが残っている状態の同社を、39年に再興したのがマリー・ルイーズ・ド・ノナンクールでした。 現在、ローラン・ペリエ・グループの会長を務めるベルナール・ド・ノナンクールは、大戦中はレジスタンスとして対独抗戦に活躍した経緯の持ち主でもあります。49年から経営に参加、年間8万本程度のシャンパーニュを生産するにすぎなかった同社を、年間生産量700万本の大シャンパーニュ・ハウスに躍進させました。 ローラン・ペリエはドラモット、サロンを傘下に持ち、ボルドーのペサック・レオニャン地区にはシャトー・マラルティック・ラグラヴィエールを所有しています。 (参考:世界ワイン大全)
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アヤラ Ayala
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ルイ・ロデレール Louis Roederer1776年にランスに設立されたシャンパン・ハウス。 190haを所有する自社畑産のぶどうで必要量の2/3をまかなっていますが、この割合は大手メーカーの中では非常に高い割合です。
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クリュッグ Krug
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サロン Salon
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アンリオ Henriot
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アンリ・ジロー Henri Giraud
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ペリエ・ジュエ Perrier Jouet
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ドゥラモット Delamotte
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ルイナール Ruinart
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ジャクソン Jacquesson
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ジャック・ラセイニュ Jacques Lassaigneエペルネから南に約80kmのところにあるTroyes(トロワイエ)近くのMontgueux(モングー)村に畑を持つ家族経営の蔵元。 Troyesは、実は日本とゆかりのある場所なのだ。明治時代に政府の命を受けて、ここにぶどう栽培の研修に来た3人の日本人青年が訪ねた地である。フィロキセラ前の当時、エペルネからこの一帯までぶどう畑が一面に広がる場所で「本場のワイン作り」を学んだのであった。
蔵の大きな特長は、銘醸地「コーテ・デ・ブラン」と同じシャルドネに適した白亜質の土壌。シャルドネの栽培に最適の白亜質の土壌は、「コート・デ・ブラン」から南側で一旦地中深く沈みこむ。そしてモングー村周辺で再度地表に現れる。まるで離れ小島のように。そのため、村全体で186Haある畑の85%はシャルドネが植えられており、「第2のコート・デ・ブラン」と呼ばれている。 フランスのワインが世界的に注目され始めて間もない頃の1964年、現在の責任者エマニュエル・ラセーニュ氏の父ジャック氏が、生まれ故郷であるこの村の恵まれた立地条件を持つ土地に惹かれ、「ここなら素晴らしいワインができるはず」と兄弟4人でゼロから開始。斜面に広がる優れた畑を少しずつ購入、拡張しながら、ぶどうの苗木を自分達の手で植えていったその時シャルドネにマッチした白亜質の区画を厳選したのは言うまでも無い。今日、味わい深く繊細な風味を生みだすぶどうは、父達が汗水垂らして植樹した1本1本のぶどうのお陰なのである。 シャルドネ100%の「ブラン・ド・ブラン」を中心に作るが、それをラベル上にあえて表示しない。「テロワール」を余すところ無く発揮してくれるシャルドネをこよなく愛する。
レコルタン・マニピュランに限りなく近いネゴシアン・マニピュラン
生産量の約20%にあたる1ha分のぶどうは、この村で「リュットレゾネ=減農薬」栽培者をする知り合いの農家から購入。「ぶどうを買っている」といっても圧搾ジュースではなく、圧搾前のぶどうを買って自社まで運び、自宅で圧搾する。原料の品質にこだわる姿勢が現れている。
父・ジャックの経験と、エマニュエル兄弟の新たなアイディアを取り入れながら団結してレベルアップを目指す。
エマニュエルらが中心になって作りだしたのは1999年から。彼は、小さな時からぶどう畑が遊び場だったくらいワインにべったりで、父の背中を見て育ったためか、最終的には醸造家になるのが天職と自然に考える様になった。大学時代に4ヶ月東京に滞在したことがある親日家。
●ぶどう畑
チョークのような白亜質土壌の区画ゆえ、きりっとしたミネラル感としまりのあるスタイリッシュなラインがでる。
Cotes des Blancsとの違いは、より南に位置するという点と、Cotes des Blancは東向きの斜面なのに対し、ここは南東向きという日照に優れた環境のお陰で、ぶどうの熟度を高め、シャンパンにボリューム感を与える。
自然に優しい「昔ながらの栽培」を引き継ぎ丁寧な栽培を行う。栽培面積:5ha
生産本数:約50000本
シャンパン ランソンは、シャンパーニュ地方の、大聖堂とシャンパンで知られる美しい街ランスにあります。最も古いシャンパンハウスの一つで、1760年ランスの行政長官“フランソワ ドゥラモット”により設立された「ドゥラモット シャンパン ハウス」がシャンパン ランソンの前身となります。ランソンのボトルネックラベル、コルクには十字のマークが刻まれており、これは、創設者“フランソワ ドゥラモット”の息子が聖マルタ騎士団に所属していた事に由来しています。
1837年に“ジャン バプティスト ランソン”により社名を「ランソン」に変更後、ブランドの確立と国際的販売網の拡大に成功し、世界的ブランドへと発展してきました。
100年以上前のヴィクトリア女王時代に英国王室御用達となったのをはじめとし、スウェーデン、スペイン王室の御用達としても親しまれてきた由緒正しきシャンパン ランソン。
気品あふれるエレガントな味わいが、その品質の良さを証明しています。長年に渡り伝統と品質を保ち続けるたゆまぬ努力が、世界に広がる名声を築いているのです。