ティボー・ブーディニョンThibaud Boudignon![]() 生産量は極めて少なく、現地でも入手困難な希少ワイン初ヴィンテージは2009年。アンジューに所有するシュナン・ブランの1.7haの小さな畑から生み出されたティボーの作品は、すぐにフランスのワイン関係者の熱い注目を集めました。フランス各地の多くの星付きレストランから求められ、ワイン評価誌のルヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランスで「偉大な発見」と称えられました。生産量は少なく、飲む機会を得るのは難しいですが、ワインに造詣深い現地のプロフェッショナルが口々にその名を挙げる存在です。ボルドーのメドックで生まれ育ったティボーはワイン生産者の家系出身ではありませんでしたが、彼の祖父はメドックの生産者にブドウの仕立て用の支柱を供給していました。時には支柱とワインを交換することもあったそうですが、ティボーにとって上質なワインは子供の頃から身近な存在であり、いつしかワインを人生の一部と感じるようになっていました。彼に大きな転機が訪れたのは10代の頃。祖父と母を相次いで亡くし、彼らから相当額の遺産を相続しましたが、母のフランソワーズは1通の手紙も遺していました。「このお金で自分の人生を始めなさい」。刹那的な消費には走らないように、と母親らしい注意書きが添えられたそのメッセージを目にしたティボーは、ワイン造りを生涯の仕事することに決めたのでした。 ![]() 細部までこだわり、徹底された畑仕事ボルドーのシャトー・オリヴィエ、そしてブルゴーニュのフィリップ・シャルロパンなどで経験を積んだ後、彼は2008年にロワールのシャトー・スーシェリーの醸造責任者に招かれました。この地にやってきたのは偶然の産物でしたが、彼はすぐにアンジュー地区、特にサヴニエールの傑出したテロワールと、そこで栽培されるシュナン・ブランのポテンシャルに心を奪われました。「この土地のシュナン・ブランは世界最高のワインを生み出しうる」、と感じたティボーはすぐさまアンジューのアペラシオンに畑を購入し、ドメーヌを設立。スーシェリーで実直にワイン造りに取り組み、シャトーのクオリティ向上に貢献する一方で、それ以外の時間を全て自らのワイン造りにつぎ込みました。彼のワイン造りの基本であり、最も重要なことは畑仕事。しかし、具体的な畑仕事の内容について多くを語りません。気候やブドウの生育状況がひとつとして同じ年はなく、概論的に表現することができないからです。有機農法、低収量、そして「ベストを尽くしたと収穫直前に確信できるレベルの畑仕事」。ヴィンテージがどうであれ、これらが毎年優れた結果を残すための唯一の手段であると語ります。彼の畑は、庭師が手入れした庭園のようだと語る者もいるほど整然としています。他のワイナリーの常駐醸造家として働きつつ、これほど細部にこだわり徹底してブドウの世話を行っているのは驚異的です。手作業で収穫後は、ゆっくりとプレスし、ワインにするだけだといいますが、どこでブドウが育ったかという感覚をワインに表現したいと語る彼は、同じ畑でも区画ごとにブドウを分けて醸造を行っています。更にワインの内面を掘り下げ、それに合わせて樽の大きさやオークの種類も変えています。極小規模なドメーヌですが、クオリティを左右するディティールに対して一切妥協がありません。 ![]() 「シュナンの耽美主義者を喜ばせる」と評されるアンジュー今や彼のアンジューはベタンヌ・ドゥソーヴ誌で「この地区のトップ3に入る」と高い評価を受けています。ティボーが最高の区画とブドウをセレクションして造られる彼の最高のアンジューであり、自らのドメーヌを興す力を与えてくれた祖父と母に捧げるキュヴェです。ア・フランソワ(フランソワーズ)は、メイユール・ヴァン・ド・フランスにて「シュナンの耽美主義者を喜ばせる」と評されています。この地のシュナン・ブランに焦点を絞り、既に偉大なワインを生み出すティボーですが、「シュナン・ブランのスペシャリスト」という賛辞には戸惑いをみせます。「ただ畑を耕し、可能な限り最高のワインを表現をしようと努めているだけ」と、謙虚に答える彼のワイン造りの探求はまだ始まったばかり。現在、畑を3haまで増やし、念願のサヴニエールでも自身のワインを手掛けるようになったティボーが最終目標として掲げるのは、二足のわらじを脱ぎ、自らのドメーヌに専念して生きることです。自分の目が届く範囲で畑を広げ、全ての畑の世話を自分で行い、ワインを醸す。彼はその夢の実現に向けて、毎年少しずつ畑を買い足し、また植樹を行い、着々と準備を進めています。 |
ティボー・ブーディニョン Thibaud Boudignon
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