ノワックNowackテロワールへの愛と情熱に満ちた「アルチザン・シャンパーニュ」1795年、ボヘミアからやってきたジャン・バプティスト・ノワックが、ヴァレ・ド・ラ・マルヌの右岸に位置するヴァンディエール村に拠を構えたことから、ノワックのシャンパーニュにおける歴史は始まりました。レンガや屋根瓦、噴水配管の製造と焼成に特化したファミリービジネスをはじめたノワック家でしたが、ジャン・バプティストの息子ピエール・フェルディナンドが家業を引き継いだ時、母親から受け継いだ小さなブドウ園を耕作しはじめたことで、ブドウ栽培が開始されました。 1915年に元詰めを開始し、ピエールの孫であるフェルディナンドはブドウ栽培に専念していましたが、彼が30歳の時、シャンパーニュの畑をフィロキセラが襲います。しかし彼は諦めずに畑を再建し、1930年にはフランス農事功労章を受賞。早い段階で息子のフェルナンドにワイン造りのノウハウを教え、フェルナンドは1935年と1936年に、パリのコンクールにおいて、ムニエ100%から造られるコトー・シャンプノワが2年連続受賞する快挙を成し遂げました。 現在は7代目となるフラヴィアンが当主を努め、所有畑はヴァレ・ド・ラ・マルヌに計7ha、20区画にまたがっています。"I’m a small part of Terroir."「私はテロワールの小さな一部分にすぎない」が彼の信条で、「テロワールのピュアさ、力強さを余すところなく表現するワイン」を実現するため、ブドウは全て区画別に完熟を待ってから収穫され、圧搾から醸造に至るまで全て分けて行われます。そうすることでその区画の持つ特徴をよりピュアに、より力強く表現することが可能になるのです。 |
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