ドメーヌ・アンリ・ボワイヨDomaine Henri Boillot妥協を許さない完璧主義者、アンリ・ボワイヨの歴史ヴォルネイで1630年からの記録も残されている、古い歴史を持つ生産者で、ドメーヌとしての設立は1890年です。設立したのは、現在のアンリの祖父に当たるアンリ・ボワイヨ。アンリの父ジャンの時代には、ドメーヌ・ジャン・ボワイヨの名前を使用していましたが、2005年ヴィンテージからドメーヌ・アンリ・ボワイヨを名乗っています。(ジュヴレ・シャンベルタンのドメーヌ・ルシアン・ボワイヨは、父ジャン・ボワイヨの弟です。) ジャン・ボワイヨは、ピュリニィ・モンラッシェのエティエンヌ・ソゼの一人娘、コレットと結婚しており、ジャン・マルクとジャニーヌ、そしてアンリという3人の子供をもうけました。 ジャン・マルクは1984年~88年の間、オリヴィエ・ルフレーヴの初代醸造長を務めた後独立し、ポマールにドメーヌ・ジャン=マルク・ボワイヨを立ち上げました。 姉のジャニーヌは、ジェラールブードと結婚して、ドメーヌ・エティエンヌ・ソゼを継ぎました。エティエンヌ・ソゼからコレットが相続した畑を巡っての争いは壮絶で裁判沙汰となり、結局ジャニーヌが引き継いだ「ドメーヌ・エティエンヌ・ソゼ」はピュリニィ・モンラッシェの1級畑ルフィエールやコンベットを含む畑の3分の1を失い、1991年からブドウを購入してワイン名からドメーヌを外し、「エティエンヌ・ソゼ」の名前でワイン造りを行っています。 アンリ・ボワイヨは医学の道を歩んでいましたが、1976年にドメーヌに戻り、78年からは栽培責任者を、85年からは醸造責任者になりました。2006年から子息のギョームがワイン造りに参加し、2011年以降赤ワインを手掛けています。 97年にはアメリカにわたってワインのプロモーション活動を行い、ロバート・パーカーから世界で最高の評価である5ツ星生産者に認められました! ブルゴーニュ随一のブドウへのこだわり栽培はリュット・レゾネで、除草剤・殺虫剤は一切使わず、年に8~10回畑の耕作を行うことで雑草を排除し、必要最低限の農薬使用によって病虫害の防除を行っています。完全なフェノールの成熟を得るために、収穫は限りなく遅く行い、全て手摘みです。収穫量を抑えるために厳しく剪定し、摘芽をしっかり行うことにより、凝縮されたブドウができあがります。平均収量は白が45hl/ha、赤が35hl/haですが、年によっては赤の収量が15hl/haまで落ちることもある程です。特に収穫後、選果台でのブドウの選別に厳しく、納得できる品質に満たないブドウは他の生産者ならワインに回すようなブドウでも惜しげもなく排除します。特に腐敗果の多かった2001年には、「ピンセットで選果した」というエピソードも残されているほどにこだわりぬいてブドウを選んでいます。 赤ワインは醸造が全て、白ワインは熟成が全て赤ワインへの品質のこだわりは、「ピノ・ノワールの繊細さ、優雅さ、凝縮感を活かす」こと。100%除梗して、発酵がはじまると状況に応じてルモンタージュを行います。赤は228Lの樽(新樽比率40~70%程度)で15~18カ月間熟成。澱引き、清澄、濾過は行いません。モダンなワイン造りで、現代的でスタイリッシュ、畑の特徴が表現されたワインを造り出します。 白ワインへの品質のこだわりは、「ミネラル感をたっぷり含んで、フレッシュで混じりけのない透明感を持つ優雅さを感じさせる」ワイン。全房のまま圧搾し、綺麗に清澄させたのちピジャージュせずに発酵。熟成の樽は、通常用いられる228Lではなく、アンリ・ボワイヨ独自の考案による、フランソワ・フレール社の350Lの樽を使用しています。ワインと樽との接点を少なくして緩やかな熟成を促すためです。ボワイヨの白ワインは限りなく透明感に溢れ、雑味がありません。程良く樽香も感じられますが、きれいな酸味と果実味が見事に調和しているのです。 ドメーヌ同様完璧主義のネゴシアンをスタート名声を手にして以降も、彼の挑戦はとどまるところを知らず、1996年ヴィンテージからは、購入したブドウによるワイン造りを始めており、メゾン・アンリ・ボワイヨの名前でリリースしています。 ネゴシアンでは、格下げした村名ワインだけを使って「最高のACブルゴーニュ」を造っています。大赤字らしいのですが、ブルゴーニュの「基準」を上げるために、可能性に挑戦し続けているのです。 テロワール本来の持ち味を活かすために、単一栽培農家から買い付けたブドウを使用するというこだわり。グラン・クリュにいたっては、ボワイヨの従業員が栽培・収穫を担当しているので、ドメーヌのワインとなんら変わらない品質のワインとなっています。 |
アンリ・ボワイヨ Henri Boillot
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