ジ・アイリー・ヴィンヤーズThe Eyrie Vineyardsオレゴンで初めてピノ・ノワールを植えたパイオニア「パパ・ピノ」の愛称をもつデイヴィッド・レットは、オレゴン州ウィラメット・ヴァレーに初めてピノ・ノワールを植えたパイオニアで、オレゴンワイン産業における象徴的⼈物として広く知られています。また、アメリカで初めてピノ・グリを造った人物でもあります。デイヴィッドと妻ダイアナは1964年暮れ、オレゴン州はブドウ栽培に不向きであるというUCデイヴィス校教授陣の助⾔をよそに、⾃分たちの理論と3000本のブドウの苗⽊を抱え、カリフォルニアからオレゴンへ向かいました。デイヴィッドはUCデイヴィス在学中に授業で⼝にしたピノ・ノワールに強いインスピレーションを受け、 25歳で巡ったブルゴーニュ、アルザス、シャンパーニュでの旅の経験から、アメリカでピノ・ノワールを植えるには冷涼な気候で、⽇当たりのよい丘陵地が理想であると確信しました。1965年、デイヴィッドとダイアナはダンディー・ヒルズに南斜⾯となった緩やかな丘陵地の理想的な⼟地を⾒つけ、UCデイヴィス校が収集したピノ・ノワール、ピノ・グリとナパ・ヴァレーの歴史的なドレイパー・ランチの畑のシャルドネの穂⽊を植え、ここからワイナリーの歴史は始まりました。 現在は、2008年にデイヴィッドが逝去した後、デイヴィッドの次男、ジェイソン・レットにより経営及び栽培・醸造のすべての指揮が引き継がれました。ワインはすべて⾃⽣酵⺟で⾃然発酵させ、極⼒⼈的介⼊を避けた⾃然な造りに徹し、ピノ・ノワールは低温浸漬や過度な抽出を⾏わずに醸されます。ジ・アイリーの名は最初にブドウを植えた畑に⾼く聳える松の⽊に鷹の家族が巣を作り、宿ったことに由来します(eyrie=⾼巣)。醸造所はマクミンヴィル市街地の60年代に七⾯⿃の加⼯場を改築したもので、将来ダンディ・ヒルズの畑のそばに新しい醸造所が建設される予定です。 世界に広く知られるきっかけとなった1979年ワインオリンピック1979年にゴー・ミヨ社主催で行われたワインオリンピックにおいて、世界各国のワインを集めブラインド・テイスティングを⾏ったところ「1975年ジ・アイリー・サウスブロック・リザーブ・ピノ・ノワール」がピノ・ノワール部⾨10位に⼊賞。ここを皮切りにジ・アイリー・ヴィンヤーズの、また、オレゴンのピノ・ノワールの存在が世界中に知れ渡ることになります。翌年、ブルゴーニュのジョセフ・ドルーアン社主催のピノ・ノワールを集めた再試合では、ジ・アイリー・ヴィンヤーズの同ワインがシャンボール・ミュジニィに0.2ポイント差の2位に⼊賞しました。これが、ドルーアンのオレゴン進出を決定付けたとも言われています。2つの快挙が全⽶で⼤きく報じられると、ジ・アイリー・ヴィンヤーズに続いて先駆者たちがオレゴンでのワイン造りに参⼊ました。 |
ジ・アイリー・ヴィンヤーズ The Eyrie Vineyards
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