コングスガードkongsgaard「ジョン・コングスガードが探求する聖杯は、地球上で人々が求めてやまない自然が造りたもう究極のテロワール・ワインの体現である」ロバート・パーカーjr カリフォルニア・シャルドネ5本指と言えば、マーカッシン、キスラー、ピーター・マイケル、オーベールそしてコングスガード。 ジョン・コングスガードは、若かりし日に目指したクラシック音楽家としての将来を断念し、ナパ・ヴァレーに5世代続く稼業(土地に根差した農業、造園業、岩切り出し業)を家族と共に継いでいくことを妻・マギーと共に決断したのが1970年代。ナパ市街にほど近いクースムヴィルの山頂にある土地(祖父が岩を切り出し販売する家業を行っていた)を開墾し、白ブドウ品種を植樹しました。アンドレ・チェリチェフから「岩だらけで、遮るものがない丘の上、強い風が通るこの土地から、絶対無二のものができる」とアドバイスを受けたことが始まりです。その畑は、判事であった父に敬意を表し"ザ・ジャッジ・ヴィンヤード"と名付けられ、ここから伝説のワインが生みだされることになりました。 1996年、コングスガードとして初ヴィンテージをリリース。自社畑だけでなく、ナパ・ヴァレーの中でも最高の畑のオーナーたちと契約を結び、オーダーメイド(低収量に制限することなど)でブドウを注文することをお始めた第一人者でもあります。コングスガードのワインを造る傍ら、ニュートン、ルナ、リヴィングストーンなどでワインメーカーを務め、その名声は広く知られることとなります。 40~45年前、ニュートンで修業している際に、毎年フランスへ行き、ブルゴーニュのドメーヌで短期間ではあるが研修を受けた事が後に大きく役立ったとコングスガード氏は語ります。研修先は先代のコント・ラフォン、コシュ・デュリ、ボノー・デュ・マルトレイなどの著名なドメーヌでした。当時、「カリフォルニアでワインが造れるの!?」と言われる時代でした。みんな喜んで教えてくれ、うまくいかず相談した時も快く対応策を教えてくれたそうです。勿論、ブルゴーニュとカリフォルニアでは気候の大きな差がありました。ブルゴーニュで教わったことを、カリフォルニアに合わせて調整しながら行うこと。その天才的な采配が、コングスガードのワインを神の領域にまで高めた所以でしょう。 30年ほど前に恐らくナパ初となる樽発酵・樽熟成を実践したのも、ブルゴーニュでの経験が元となりました。 最上級シャルドネ「ザ・ジャッジ」は自社畑から造られるマニア垂涎の逸品です。ジョン・コングスガードの造るワインは、選び抜いたベストの区画から、極端なまでの低収量、天然酵母のみを使い、低温のセラーで長い時間をかけて醗酵を待ち、ノン・フィルター、ノン・ファイニング(人工的な清澄作業をしない)で瓶詰されます。今では当たり前のように言われますが、最新鋭の化学設備で行うのではなく、ほぼ手作業で行っているのです。リスクの大きな造り方ですが、品質のためにその信念を貫き通ります。眼鏡にかなうブドウが出来なければそのワインを造らないという徹底ぶり。満足の行くクオリティーでなければ年により生産量が極端に変わります。自然によると言うよりも、ジョン・コングスガードの厳しいフィルターによりワインは造られていくのです。 |
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