ジャック・フレデリック・ミュニエJacçues Frederic Mugnierドメーヌの歴史19世紀にディジョンで酒商を営み財をなしたミュニエ家は1863年にマレ・モンジュ家から現在の本拠地となっているシャトー・ド・シャンボール・ミュジニィの邸宅を購入しました。その際にたまたま4haのブドウ畑が付属していました。1863年にドメーヌを設立し、シャンボールに4ha強を所有(ミュジニィ、ボンヌ・マールと2つのグラン・クリュを擁する)し、ニュイ・サン・ジョルジュに10ha弱を所有します。もともとミュニエ家が前世紀初頭に取得した後、第二次大戦以降フェヴレ家に貸し出されていたニュイ・サン・ジョルジュのプルミエ・クリュ、クロ・ド・ラ・マレシャル。貸し出されていた間の50年(1950年~2003年)はフェヴレ社のフラッグシップとして扱われていたほど素晴らしい畑です。 樹齢・栽培樹齢は、ミュジニィで1947年と1962年というヴィエイユ・ヴィーニュ(15%を1997年に改植。その区画からのワインはシャンボール・ミュジニィACにデクラッセ)、ボンヌ・マールは半分が1961年で残りが1980年と1988年の植樹。プルミエ・クリュもレ・ザムルーズが1950年代と60年代、フュエで1960年の植え付けと双方ともに50年以上の高さとなっていて、ニュイのマレシャルも平均で40年以上。テロワールを体現するため、何よりも畑にこだわります。化学肥料は1986年から、除草剤も1990年から止めました。害虫対策にも化学薬品は使用せず、替わりに食虫グモを畑に放すなど、こまめな手入れをおこないます。 フレデリックはブドウの樹は長梢を長く伸ばし、樹勢のバランスをとることを好みます。ヴァンダンジュ・アン・ヴェール(ブドウが色づく前に1枝につける房の数をコントロールすること)も行いますが、春の剪定でしっかりと芽を切り詰めるため、極端に低くはないものの平均で30hl/haほど。そして収穫においては、決して遅摘みはせず、厳格な選果によりさらに収量が抑えられます。そして小さな容器に入れて醸造所に届きます。振動式のテーブルで余分な水分や異物を取り除くのですが、カビのついたブドウなどはすでに取り除かれているのでこの段階では落とす必要がありません。 醸造基本的に100%除梗(全房で仕込む場合もあります)。発酵前3日ほど15℃で短めの低温のマセラシオンを行い、自然にアルコール発酵が始まります。フレデリックはルモンタージュよりピジャージュを好みます。熟成に新樽はほぼ使わず近年減少傾向。樽熟成2年目(18カ月)の冬に、一度だけ澱引き清澄、濾過せずに瓶詰めされます。このような造りから、色の濃度は抑えられ、口当たり柔らかく、シルキーな喉越しのワインが生まれます。 超越的感覚を持つ特別なピノ・ノワールここ10年で急速に質を上げ、信者と需要と市場価格が上昇している、ワイングロッサリーでも大人気の生産者。かぐわしく、美しい果実味と透明感があふれ、余韻は驚くほど長く続きます。テロワールを見事にボトルに詰め込んだワインたちはどれを飲んでもそれぞれに調和がとれています。ミュニエは若い時でさえ、見事に美味しいのですが20年も熟成させると超越的感覚をもつ特別なピノ・ノワールになるとも言われています。まばゆいほどに芳しく、壮麗なワイン。ミュニエにしか表現できないと思わせるほどの芸術的な作品です! + |
ジャック・フレデリック・ミュニエ Jacques Frederic Mugnier
絞り込み