ファミリア・フェルナンデス・リベラFamilia Fernandez Riveraテンプラニーリョの巨匠が造る至宝の傑作ワインペスケラのワインを飲んだロバート・パーカーがワイン・バイヤーズ・ガイド第1版に「これぞスペインのペトリュス!」と書いたことで一躍その名を世界中に知らしめたペスケラ。今やスペインワインのアイコン的存在ともなったフェルナンデス・リベラ家の造り手としての歴史は、アレハンドロ・フェルナンデスと妻エスペランサ・リベラの独創性と一族の団結により、1972年に始まります。 スペインでは、19世紀まで良質なワインが随所で造られていましたが、20世紀に入ると、フランコの独裁政治などもあり、経済も国際的地位も一気に低下し、ベガ・シシリアが造るウニコなど一部のものを除き、安価な大量生産のワインが定番化していました。アルコール分が高く、重たいだけのスペインワインではなく、もっと酸の効いた上質なワインを造りたいと考えたフェルナンデスは、ブドウ畑を購入し、自らのワイナリーの創設を切望するようになります。 もともとスペインはワインに酸を与える土壌に恵まれ、あちこちに良質なブドウ畑が広がっていましたが、他の作物に転向するブドウ農家も多く、良質なブドウ畑がいつしか砂糖大根の畑に変わっていました。そんな中、最高のワイン造りに情熱を燃やすフェルナンデスは、アメリカ人のスティーブン・メツラーと組んでかつて良質なブドウ畑であった酸の強い土壌を丹念に探し求め、遂に1972年、リベラ・デル・ドゥエロのペスケラという港町に理想的な土壌を見出し、16世紀の小さな石造りの搾汁所を購入しました。1975年に初めてこの地で収穫を行い、ティント・ペスケラが誕生します。ペスケラのワインによりリベラ・デル・ドゥエロが持つ潜在性が話題に上るようになり、1982年に原産地呼称リベラ・デル・ドゥエロが生まれ、このDOの誕生と共に、同年、ティント・ペスケラで最も標高の高い畑から収穫された極上のテンプラニーリョのみを使用し、最初のハヌスが作られました。このワインの名称は、ローマ神話の時の神ヤーヌスに因んでいます。1985年、ロバート・パーカーがハヌスを「これぞスペインのペトリュス!」と評したことで、ペスケラは一躍脚光を浴び、スペインで最も権威あるボデガとして世界に広く認知され、今も最高の評価を受けています。現在フェルナンデス・リベラ・グループは、4つのボデガから成り、そのワインは世界70国以上で販売されています。2019年には、エスペランサとアレハンドロの孫たちがグループの経営陣に加わり、時代に適応する方針を打ち立てて、グループをリードしています。 |
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