メオ・カミュゼMeo Camuzetアンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まります。クロ・ド・ヴージョ城はかつてカミュゼ家の所有であったことから、メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑は城の周囲と真下というもっとも素晴らしい位置を占めています。エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年に近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなりました。ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権の閣僚という要職にあり、直接ドメーヌの管理をするわけにはいかず、 畑は折半耕作の形で小作人に任せて出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売却していました。この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエです。 1980年代半ば、折半耕作の契約が切れると同時に小作人たちも引退の時を迎えてメオ家の元にブドウ畑を返還。1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まりました。やがてパリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュに赴くことになったのがジャンの息子ジャン・ニコラ・メオ。商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた生粋のパリジャンです。1989年、24歳にしてドメーヌを託されました。表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエもドメーヌのコンサルタントとして、若きジャン・ニコラの指導にあたったといいます。 数々の宝石のようなクリマを所有ドメーヌはリシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトンといった特級畑。戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥーなど、数々の宝石のようなクリマを所有しています。ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。醸造法はジャイエ譲りで、完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。樽熟成における新樽率は、村名で50%、1級畑が60〜65%、特級が100%。またジャン・ニコラは「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前でネゴシアンビジネスも行っています。マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニィ、ニュイ・サン・ジョルジュなど、ドメーヌもののヴォーヌ・ロマネを補う形でコート・ド・ニュイのアペラシオンを余すことなく網羅。これらの中には短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているクリマも少なくありません。また、ブドウやマストを買い付ける場合でも、夏季剪定や収穫時の選果を行い、品質の安定を図っています。ドメーヌもののワインがその希少価値から入手困難であり、価格の壁も高いことから、比較的手頃な値段でメオ・カミュゼの哲学が楽しめるネゴスものの存在は、ワイン愛好家はもちろん、レストランにとってもありがたい存在といえるでしょう。 |
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