フュメイ・タッサンFumey Tassinピノ・ブランの名手!世界が注目する自然派生産者ドメーヌはコート・デ・バール地区、セル・シュール・ウルス村に位置しています。この村は人口およそ500人ほどのちいさな村で、石造りの家が立ち並び、シャンパーニュ生産者が多く住んでいます。4つの谷があり、白亜質土壌やキンメリジャン、粘土石灰岩などの土壌にも恵まれたユニークなテロワールで、多彩な栄養素やミネラルを吸収できることから、地中深くに根をおろす古樹の栽培には最適といえます。また、かつてこの土地ではピノ・ブランの栽培が盛んに行われていましたが、ピノ・ブランは腐敗しやすく酸と糖のバランスが難しい品種のため、現在栽培しているドメーヌは数軒のみ。そんな中でも伝統のピノ・ブラン・ヴレ100%の優れたシャンパーニュを生み出しているのがこのフュメイ・タッサンで、ピノ・ブランの名手として注目を集めています。畑は丘の中腹に5ha所有。ピノ・ノワールと伝統的な品種ピノ・ブラン・ヴレ(Vrai=フランス語で「本当の」や「純粋」という意味)が数10区画にわたって織り交ざって植えられており、なかには樹齢60年を超えるピノ・ブラン・ヴレの畑も。このブドウたちから土地のテロワールを反映した、偉大かつ美味なるシャンパーニュが造られています。 タッサンという名前は、ブドウ畑とこのドメーヌに深く根付いた名称です。シャンパーニュを造るブドウの栽培は常に安定しているわけではありません。気候変動、フィロキセラ、収益性の低さ等、シャンパーニュを造るには困難が多く立ちはだかります。しかし、セル・シュール・ウルスの一握りの屈強な男性たちは、この仕事に真正面からしっかりと向き合う強い意志を持っていました。1900年生まれのマルセル・タッサン氏は、ブドウ売買の仲買業者でしたが、80年代に友人たちと共に自らの畑からシャンパーニュ造りを始め、ドメーヌを興しました。80歳という人生終盤での挑戦、そしてセル・シュール・ウルス村初の“レコルタン・マニピュラン”誕生に、村の人々はマルセル氏を「シャンパーニュの父」として称えました。1990年代、孫娘のマリーがドメーヌを継承します。当時としては珍しい女性醸造家であり、発泡性のワインの生産を始めることを決めたことによりタッサン家で伝統的なシャンパーニュ造りが始動したのです。この先駆者たちの決意と忍耐、勤勉な姿勢の軌跡は現在にも受け継がれ、今後も途絶えることの無いよう次の世代へと継承されて続けています。現在は息子のアーチュールがドメーヌに戻り、母と二人三脚でワイン造りを行っています。 また、ドメーヌは環境に対して強い意識を持っており、除草剤、除虫剤、化学肥料を使用しない自然栽培を行っています。化学肥料や硫酸銅を使用するかわりに、ティザンというハーブティーのようなものを撒くなど、工夫を積み重ね、2025年までには完全なBIO栽培を目指しています。 |
フュメイ・タッサン Domaine Fumey Tassin
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